薄暗い部屋、冷たい鉄格子の向こう側。俯いて座り込んだまま動かない捕虜の少女、俺自身は名前を知らない。判明している名前も、彼女自身が名乗ったわけではない。墜とされた機体から抽出されたデータから判明しただけである。ちなみに先日の戦闘で彼女の機体を墜としたのは、俺自身だ。

パイロットである俺がわざわざ彼女の食事を運んでいるのは単なる気まぐれであり、別に俺がやらなくても他の誰かがやるだろう。現在こうして彼女の元を訪れているのはただ、捕虜となった人間が味わっている屈辱がどんなものか興味があるというだけの理由からにすぎない。
相変わらず運んできた食事には手をつけようとしない。顔も上げない少女。憔悴しきっているのか、それともコーディネイターの作った食べ物なんて食べられないとでもいうわけか。なんにせよただのナチュラルが食事を摂らなくても生きていけるだなんて、そんな馬鹿な話はありえない。放っておけばそのうち飢えによって死を迎えるだろう。

くだらない意地を張っている、無意識のうちにそう見下して、あっさりと身体を翻す。薄暗い独房にカツ、カツ、と軍靴の音が響く。
その音に決して混じりはしないほどにははっきりと、背後でキン、と音がした。壁に投げつけられたスプーンが床に落ちて鈍い光を放っている。


少女は顔を上げていた。
吸い込まれそうなほど深く黒い瞳をもって、真っ直ぐにこちらを見ていた。


・・・」

無意識のうちに言葉が漏れる。大分やつれてはいるけれど、、まだオーブに住んでいたころよく一緒に遊んだ俺の幼馴染がそこに居た。俺は背筋が凍ったような感覚に襲われる。動くことができない。

なんで、どうしてだ。どうして彼女が此処に居る。なぜ、連合の軍服を着ている。だっては、コーディネイターの筈だ。


なのか・・・?」

再び身体を反転させ、彼女に近づこうとする。狼狽する自分を必死で抑えながら、恐る恐る訊ねた。彼女は言葉を発しない。ただただ俺を睨みつけている。怒りからか、憎しみからか、それとも悲しみからか。その身体が僅かに震えているのがわかった。

彼女からの返答はなかったが、どうしてか確信した。目の前の連合の軍人は、やはり、だ。

突然どうしたらよいのかわからなくなった。逃げ出すように其処から離れ、監房の外へと逃れ出る。なんて情けない。何事もなかったかのようにシン、と静まり返った艦内の通路は、薄暗い監房とは対照的に、人工的な光で眩しかった。


  * * *


それから3日ほど経った。彼女の処分はまだ決まっていないらしい。しかし、連合の軍人である彼女が真っ当な扱いを受けることなどないのは確実だろう。
彼女のことを誰かに打ち明けることは出来なかった。恐らくそうしたところで結末が変わらないだろうことを俺は判っていた。

そこに居るのは連合のナチュラルだと思い込んでいた。好奇心だけで近付き、無意識のうちにも見下していたことに、今更罪悪感を覚えたのかもしれない。いや、それすらもただの打算的感情にすぎないのかもしれない。
そして俺は再び格子越しにの前に立っている。

其処は相変わらず薄暗くて、憔悴しきったの様子も変わらない。痛ましい。初めて此処に来たときはそんなこと微塵も思わなかったというのに。浅はかだった自分を悔やむ。なんて今更な。腐りきった精神だ。


予めの算段通り、牢の扉を開錠する。いくら最新鋭の戦艦といっても、このあたりの造りまでもが最新鋭というわけではないようだ。コーディネイターとして、多少の知識さえあれば開けられない代物じゃない。
ガチャリ、とロックの外れた扉を開き、一歩中へと踏み込む。そうするまでの間も、は顔を俯かせたまま微動だにしない。既に死んでしまっているのではないかと、不安すら掻き立てられるほどに。
軍靴の音を響かせながらゆっくりとに近付き、恐る恐る声を掛けた。

「ここから出してやるから。逃げるんだ、

声が震えた。情けない、なんて言っている場合じゃない。は言葉を発しないが、ほんの僅かにだけれど、俺の言葉に反応したようで、ぴくりとその身体を震わせた。そしてそのことに安堵する自分。無意識のうちに息を詰めていたのか、溜息すら零れた。良かった、まだ生きている。

「逃げよう、。協力するから」

今度はしっかりと声を発する。彼女がなぜ連合にいるのかなど、今はもうどうでもよかった。とにかく彼女を生かさなければならない、そう思った。俺は必死だった。


以前にも俺は捕虜を逃がそうとしたことがあった。ステラ。連合のエクステンデッド。出会ったときは、何も知らない無垢な少女だと思っていた。けれどもそれは違った。運命なんて言葉はもともとあまり好きではないけれど、その運命とやらはあまりに非情で、残酷で、彼女から総てを奪っていったんだ。
一度は幸せな世界に還した、――そう思ったのに。


もう二度とあんなことは繰り返すまいと、俺は焦っていた。俯く彼女はこちらを見ようとしないままだけれど、「」ともう一度呼んで、手を差し出した。に触れるのを一瞬躊躇った。俺なんかが触れていいのかと。数日前までの自分を思い出す。憎悪の瞳を向けたまま、が俺の手を振り払う気がしていた。

内心怖ろしいほどの緊張での腕を掴んだ俺の手は、結局振り払われることはなかった。けれど彼女は再びびくりと身体を震わせて、今度はゆっくりと、いや、恐る恐る、といった様子で顔を上げた。その顔は、数日前よりもさらにやつれたようにも見える。あまりに痛ましいその姿に心が震える。一刻も早く、彼女を此処から解放してやらなければ。そんな使命感すら感じていた。

を立ち上がらせて逃げねばならない。そのために掴んだ手と腕に力を込めようと思うのに上手くそれが出来ない。まるで自分の身体がその方法を忘れてしまったかのようだ。情けない俺の腕は虚しくも小刻みに震えるだけだ。はそんな俺の手と腕を表情のない顔でぼんやりと見つめている。・・・悔しかった。

「早く!出るんだよ!」

思わず声を荒げ、俺がそう叫んでもはその身体を動かそうとしない。を引っ張る腕が、重い。

をこんな処に居させたくない。自分勝手な願いで、たとえ軍規違反だろうと何だろうと、彼女を生かす。そう決めた。
なのに、なぜ、

「・・・ねえ、私を殺してくれる?」

不思議なまでに落ち着いた、そのくせ不自然に物騒なその言葉が静かな空間に反響した。
突然に響く、随分と久しぶりに聞いた、その声。あの頃の面影を残したその声で、どうしてそんなことを言うんだ。
「なにを、いっているんだ、」そう思っても言葉の一言も発せられない。彼女が一体何を口にしたのか、その言葉の意味が理解できなかった。

「殺して。お願いだから、殺して」

先程までの無表情、まったくもって無感動だったはずのその瞳の向こうに、いつの間に現れたのだろう、強い意志を感じる。涙すら零さず、いやむしろ、泣きたいのに泣けないような必死さで、懇願する。頭の中で何かが弾けたような感覚に襲われる。頭は混乱するばかりで、どうしたらよいのかわからない。どうすることもできない。雁字搦めだ。力が入らない、情けない俺の身体。

「わたしをころしてよ、シン」

その音は否応無しに強く響いた。この空間に存在する音は唯一それしかない。自分の呼吸が荒くなっていることにすら気付かない。目の前が明滅する。全身が痺れたような錯覚に陥って、動くことも敵わない。そしてブラックアウトする視界。
懐かしい響きをもった声で自分の名を呼ばれたことだけが、痺れる意識の中で理解できた総てだった。



CLOSEありったけの愛を込めて.