an untitled memory






空は晴れ渡っていた。まあもちろん、フロンティアという艦の中の、人間の手によった制御下にあるニセモノの空なのだけど。

お決まりの階段に腰掛けて、弁当を広げる。アルトとミハエルがまた何やら言い争っている。どうせまたミハエルがアルトをからかっているだけに違いないし、困ったようにそれを止めようとするルカもいつも通りだ。
所属しているS.M.S.でも普段から一緒にいる私たちは、ランカちゃんやナナセちゃん、そして近頃はときどきシェリルも加えて、こうして一緒に昼食をとるのが日課になっている。ありがちな学園生活。なんて平和な光景。

―その裏で、民間軍事プロバイダーなんかでバジュラ相手に戦っている自分たちもまた、同時に存在しているのだけど。

そういえばこの間のバジュラとの戦闘以降、アルトとミハエルの仲は急に良くなったように思える。・・・別に変な意味じゃないけれど。ミハエルはアルトを「姫」と呼ばなくなったし、アルトはミハエルを「ミシェル」と呼ぶようになった。

さん、あの2人、何かあったんですか?」

ほら、ナナセちゃんだって勘繰ってる。

「さあ?私も知らないわよ。本人たちに聞いてみるのが一番早いんじゃない?」
「なんだよ、俺たちの話か?」

さっきまでアルトと話していたと思ったのに、突然会話に加わってくるミハエル。アルトも振り向いてこちらを見ている。相変わらず、軍人にしておくには勿体無い美形。

「別に?ミハエルもついに女だけじゃなくて男にも手を伸ばすようになったのかと思っただけよ。」
「「!?」」
「ちょ、ちょっとさん!」

突拍子も無い私の発言に赤くなるアルトにランカちゃん。ただ呆然としているルカ君に、焦って嗜めるようにしてくるのがナナセちゃん。発した言葉の内容とは裏腹にまったく無感動な私の様子を見て、呆れたように笑うミハエル。大方予想通りの反応。

「・・・冗談よ。」

あからさまに安堵した様子の皆が可笑しくて、私は一人静かに笑った。

アルトは、先程までのミハエルに加えて私にまでからかわれたことに少し怒った様子で、「いいかげんにしろよ、!」なんて言ってくるけれど、まだ少し顔が赤いから迫力なんて全くない。可笑しい。

「バルキリーに乗って戦ってるときとは大違いね、アルト。」
「当たり前だろ!?あんな奴ら相手に冷静に・・・!」
「私やミハエルなんかは、割と冷静だと思うけど。」
「やめましょうよ、先輩〜!」
「いいのよ、ルカ。ただ単にからかってるだけなんだから。」
「お前が冷静すぎるんだよ!」
「そうそう。それで、調子いいときも悪いときも、そういうのをお前に全部知られてるのが俺たちにとっては痛手だよ、。」

そんなミハエルの言葉に、アルトが続ける。

「だいたい前から思ってたんだけどな、女のお前がわざわざ学生のうちからS.M.S.なんか入って戦う必要がどこにあるんだよ?」
「そうそう。ここにいるナナセちゃんやランカちゃんみたいに、もっと可憐に女の子らしく、ってさあ。」
「だって仕方ないじゃない。親も家族もいない私は、そうでもしなきゃ食べていけないんだから。」

私がそう言うと、若干複雑そうな顔をして、言い返してこなくなる2人。他の3人も同じような表情で、何も言わない。別に今更気にすることでもないというのに。
そして私はふと、誰に向けてでもなく言う。

「・・・それにそのセリフ、クランにも言ってあげたら?」

アルトがどう思ったかは知らない。けれどミハエルが僅かに目を見開いたのを私は見逃さなかった。それは本当に僅かな程度で、恐らく他の誰も気付かなかっただろうけど。

妙に固まってしまった空気を、昼休み終了の予鈴が裂いた。止まってしまった時間が溶け出すように流れ出し、私たちは空の弁当箱をいそいそと片付けて立ち上がる。

先ほどまでと変わらない様子でワイワイと騒ぐ皆の後に続いて階段を上がろうとしたところで、不意にミハエルに呼び止められた。特に重要そうな様子でもないので、皆は私たちを置いて先に歩いていってしまう。足を止めた私は「なに?」と煩わしげに振り返る。

「なんで君は俺のことミシェルって呼ばないの?」

突然に何を言うかと思えば。

「なにそれ。お得意の、女を口説くときのセリフ?」
「まさか。相手に?」
「馬鹿にしてる?ミハエル。」
「嘘だよ、冗談。」
「もしかしてアルトにも同じこと言ったの。」
「いや、言ってないけど?アイツのアレは別。で、なんで?」
「別に。ただ単にそっちの方が好みだからよ。」
「ふーん。あっそ。」

嘘だ。いや、厳密に言えば、半分は本当だけれどもう半分は嘘だ。
仲の良い人間だけに許された呼び名。でもあえて私はそれを呼ぼうとしない。特別な皆の中で異端であることで、あえて逆に特別視されたいとでも言うかのようで、我ながら実に滑稽だ。
ただ単に天邪鬼なだけなのかもしれない。女々しくて幼稚な自分に嫌悪を抱く。

「で?わざわざ呼び止めたのはそれが聞きたかっただけ?」

自分への微妙な苛立ちが抑えきれず、棘のある言い方になってしまったことにさらに自己嫌悪する。

「いや?」

ミハエルはそれだけ言ったかと思うと、数歩私に近付いてきて、そして。
なぜか突然にゆっくりと抱き締められた。それは親が子に交わすような温かい抱擁。

「こんなところ、あの子に見られでもしたら大変なくせに。」
「誰のことを言ってるんだ?エリーヌ、パトリシア、それともクリス?」

わざとらしくミハエルが言う。喋るとき耳元に吐息がかかって少しくすぐったい。

「クランに怒られても知らないわよ。」

私は彼を振りほどくこともなく、けれどひどく冷静な気持ちでそう言った。
顔は見えないけれど、耳元でミハエルが苦笑したのがわかる。

私の気持ちはひどく冷め切ったものだったけれど、それでもその抱擁がとても温かくて心地良いものだったから、先ほど予鈴が鳴ったことも無視して、しばらくそうしていた。



―それが、数週間ほど前の記憶。
クランが、見覚えのある青いヘルメットを抱き締めて泣いていた。

壊れた眼鏡が虚しく床に落ちていた。


CLOSE ) ...I'll never forget you.